2006年 04月 16日
我が山旅の始まり
当時、新宿駅は連日のように、山屋さんで混雑していて、国鉄(当時の呼び名)ではこのようなワッペンを列車ごとに乗客に配布し、たくさんの乗客を整理していました。下の数字は確か4番線ホームを示したものと思います。親友であり、当時からの山仲間である、坂戸市のS.Jさんが大切に保存していたものです。(以下も同じ)
昭和41年7月23日のもの。
北アルプス双六小屋の記念スタンプです。日付けは昭和41年7月26日
もちろん小屋に宿泊は出来ませんでした。重い三角家型テントを担いで登った、高校山岳部夏山合宿3日目の記念品?です。
槍岳山荘の記念スタンプ。 日付はS41.7.27です。裏銀座を縦走し4泊目に槍の肩にテントを張りました。初めて見た槍の穂先に、身震いがするほどの感動があったのを、今も忘れません。
横尾山荘の記念スタンプ S41.7.28
NIPPON-ALPSの文字とピッケルのデザインが良いと思いませんでしょうか。
このときは、裏銀座縦走を終え、北穂高から涸沢を下り最終幕営地である横尾山荘前の川原にキャンプをしました。川原の砂地の上は、柔らかなベッドに寝るような感覚で、熟睡できたのを覚えています。この翌日、横尾から徳本峠を越え島々谷を下り、島々まで確か11時間の歩程、足は豆がつぶれ大変でした。
現在の横尾山荘は当時とはすっかり様変わりしています。山小屋では驚くほどの大きなお風呂を完備しています。奥上高地散策の拠点として、また穂高、槍を目差す登山者の中継基地としてにぎわっています。
by atranta
| 2006-04-16 17:00
| 想い出の北アルプス